東京で心中

めざすはてっぺん

ポエム・2018年8-9月

8月
冷蔵庫を開けたら、奥のほうに賞味期限が8月11日の納豆を見つけた。どうせ発酵食品なので、まあ10日くらいなら大丈夫だろうとは思ったけれど、何かあると怖いので、納豆汁にした。ついでにいつが賞味期限だったか思い出せないキムチを見つけたので、冷凍庫から冷ごはんを取り出して、キムチチャーハンにすることにした。

ここのところずっと、ハイハイジェッツ単独公演ラストのアンコールで、髙橋優斗くんが言った「青春全部この曲に詰め込んで」という言葉について考えていた。そんなこと言われるとは思ってもみなかったので、反応が遅れて少し間抜けな声を出すことになってしまった。わたしの青春ってなんだったっけ。高校は後半の1年半くらいは早く部活辞めたいな、と思いながら過ごしていたし、大学は1年でサークルを辞めて、あとはずっとアルバイトしていただけだった。授業中にマンガの回し読みしたり、バレンタインデーに本気だった高校も、自分の実力を思い知って悲しくなった大学も、どちらも充実していたといえばしていた。どんなときでもいまがいちばん楽しいし幸せだと思える脳みそを持っているので、あのときに戻りたいとか、やり直したいとか、そういうことを考えたことがなかった。こうやって青春がどんなだったかをすぐに言えないあたり、それと、いまが青春と言えないあたりに、彼らの想定しているファン層に当てはまらないのかもしれない、と感じた。わたしは彼らで青春の追体験すらもできない。

もし、いつでもいちばんに考えていたことを青春と呼ぶのであれば、わたしの青春はきっと去年の9月10日の福岡に置いてきてしまったのだと思う。最後にわたしの愛してやまない7人を生で見た日、公演中に訳もなく泣きたくなって、隣にいる友人の手を握ってぎゅっと耐えたあの日に、置いてきてしまったのだ。後悔とは違うけれど、切ないなぁ、と思う。再来週の東京ドームには、福岡で互いに手を握り合って泣いた友人と一緒に行く。彼女は美しくも残酷にいなくなってしまったいちばん星に焦がれた人だった。彼女はわたしに「あなたとコンサートに行きたい」と言った。それを真摯に受け止めてあげたい。東京ドームで、わたしの青春はもういちど動き出すのかもしれないし、幕を引くのかもしれない。いまは何も言えない。でもだからといって、どちらでも良い、とは言えない。こんなときに支えてあげられなくなってしまうのが、本当に嫌なのだ。彼らを信じて、いちばんに考えていたい。何人でも僕らです、と言ってくれた6人をいちばんに愛したい。別にいちばん好きな人がいなくなってしまった訳ではないし、何を迷っているのかと自分でも思う。もし1年前に同じ状況になったとしたら、わたしは年下の男の子のことなんてなかったことにして、泣きながら彼らのことを追っただろう。

でも、今年の8月、暑い盛り、EXシアターで「ずっと5人でいる」だとか「そこに立っているだけでいい、どこまでも連れて行く」だとか「僕たちが死んだらみなさんも引退ですよ」だとか、そういう永遠を信じるかのような言葉を発するハイハイジェッツを見て、わたしは彼らに縋りたくなったのだ。もしかしたら、若気の至りかもしれないし、ゆめまぼろしとかそういう類のものかもしれない。100年先も愛を誓うのもアイドルだったけれど、終わりなんてないって思ってた終わるはずないって思ってた、と歌うのもアイドルだった。それをわたしは知っているはずだけれど、もしも彼らの言葉を信じてあげることが、いま彼らにとっていちばん必要なことならば、わたしは彼らを信じてあげたい。そう思えるような公演だった。おこがましい表現ではあるけれど、ずっと発破をかけて手を引いてあげていたと思っていたのに、気付いたら手を引かれていたし、背中がとても大きくなっていた。そう思わざるを得ない公演だった。春のシアタークリエも素晴らしい公演だったけれど、それを上回るものだった。1年半前のわたしには到底信じられないことだと思う。あれは確かに青春という言葉が相応しいものだった。でも彼らの青春というだけで、やはりわたしの青春ではなかった。

もともと一神教ではない。ただ、わたしは心臓を関西弁の神さまに捧げてしまっていて、もうひとりの神さまには目と耳を捧げてしまっている。次に心臓を取り返して捧げるなら、わたしはこの心臓をハイハイジェッツに捧げたい。そう思っている。八百万の神を信仰する上での優先順位の話で、いまはハイハイジェッツはいちばんではない。ずっと「井上瑞稀くんがデビューしたらド新規デビュー出の井上瑞稀担になる」などと言っているし、デビューしたらわたしのいちばんはハイハイジェッツになるのはほぼ確定しているのだけれど、いまのわたしはハイハイジェッツをいちばんにするかどうか迷っている。東京ドームで青春が動き出したらしばらくお預け、東京ドームで青春が幕を引いたらいちばんにしてあげよう。もしかしたらまたしばらく保留になるかもしれない。それはまだ何もわからない。あとはもう、本音を言ってしまえば、もしも彼らにお別れがきたときにきちんとさよならを言える自信がない、自分の不甲斐なさが問題だった。ハイハイジェッツでデビューが良い、欠けてほしくない、永遠を信じさせてほしい。いま、いちばん星を送るのもどうにも心の整理がつかなくて未だに泣いてしまうのだから、もしものときは、どうやってもわがままになってしまうと思う。それに耐えられないので、やはりデビューしたら担当になる、などと予防線を引き直すのかもしれない。推しだから、担当じゃないから、と心の傷をどうにかしようとするのかもしれない。

いま、ハイハイジェッツに捧げてあげるような青春がわたしの手元にはもうない。ごめんね、と思いながらキムチチャーハンを食べた。心臓も何も捧げてあげられない。その代わりにわたしは彼らに何を捧げてあげられるんだろう、それとこの納豆、単独公演期間中に食べようと思ってたやつだな、とか、そんなことを考えた8月末だった。


9月
時間というのは残酷なもので、気が付いたらハイハイジェッツ単独公演ラストの日になっていたし、気が付いたら東京ドームに行く日になっていた。終わりたくないから始まらないで、は今年の夏のテーマだったなと、いま思う。東京ドームで久しぶりにまちあわせをした彼女は、真っ赤なワンピースを着ていて、そして去年の彼のうちわと、「大好きです」と書かれた自作うちわを持っていた。彼女の名義で着いた席はアリーナドセンで、双眼鏡なんていらないくらいの席だった。そこで彼女と開演前からいちど泣いた。そして開演してからまた泣いた。何度数えても6人しかいないこと、全部が現実だったこと、悲しくて寂しくて仕方がなかった。わたしのほうがずっと先に彼らのことをすきになったのに、彼女が先に泣き始めたらわたしが泣けなくなってしまう、と思っていたけれど、ふたり同時に泣き始めた。わたしは彼女の手をずっと握っていた。握り返されることはなくて、彼女はわたしに握られていない左手でずっとタオルを顔に当てていた。隣のお姉さんも泣いていた。ずっと泣いて泣いて、最後に「俺らのことが好きか!」と聞かれて「大好き!」と叫んでまた泣いた。叫びすぎと泣きすぎで頭がガンガンと痛んだ。

まだもう少し彼のこと、彼らのことを好きでいたいし、いちばんに思っていたい。正直アリーナドセンでもEXシアターを考えれば距離はあるけれど、わたしにとって距離は問題ではなかった。本編が終わってアンコールを待っていたとき、後ろを振り返ったら上から下、右から左まで全部きれいなペンライトの海が広がっていて、それがあまりにもきれいで泣いてしまった。呆然としたり、音楽に浸っていたりで、全然ペンライトを振れなかったので余計にきれいだと思った。ペンライトのスイッチを入れていちばん最初に光るのが赤で、それでまた泣けてしまった。いろんなところで彼を思い出して泣いた。ひとりで公演に行った2日目の帰り、2ヶ月ぶりくらいにウォークマンのプレイリストを開いて、ガラガラの山手線で少し泣いた。彼の声が聞けないことは公演中にはあまり気にならなくなっていたけれど、いざ彼の声をイヤホンで聞くと、歌声が聞きたくなってというよりも、いま彼が何してるのかわからなくて寂しかった。その日の夜中に彼女が「おじさんたちが大好き」「元気かなぁ」と呟いていた。彼女の心中を思ったらいいねもリプライもできなかった。4日目の公演も彼女と一緒に行った。ふたりとも泣かなくなっていて、慣れとかそういうものを感じた。でも、公演の最後の方は色々あって泣いたし、彼女と別れるときに話をしていたらふたりとも涙目になってきて最終的に抱き合って泣いた。「あなたと一緒だったから思う存分泣けた」と言われた。わたしもそうだった。

しばらくは、このツアー中は、たくさん泣いてしまっても許してほしいし、許されると思った。だから、来年のツアーでは泣かないでいたい。笑っていたい。大好きと何度でも叫びたい。いままでは何となく悔しくて行ったことがなかった大阪に来年は思い切って行こうと思った。北海道に行ってジンギスカンと札幌ラーメンを堪能して、雪印パーラーサッポロビール、美味しいものをたくさん食べようと思った。名古屋と福岡以外の場所にも行ってみようと思った。がんばれ来年のわたし、いまから貯金するね。それと、わたしはこれからの彼らのことを青春と表すのは違うなと感じた。青春とか、そういう儚いものではなくて、そこに確かに存在しているものだったから、他の呼び名で彼らを形容したい。東京ドームから帰る山手線でそんなことを考えた。どういう言葉がいちばん相応しいかはちょっとわからないけど、いつかその答えが見つかれば良いし、見つからなくてもそれはそれで良いと思っている。

東京ドーム2階席で揺れるペンライトを見ながらハイハイジェッツのことを考えた。ペンライトの海に架かる大きな花道を駆け抜ける井上瑞稀くんが見れたら本望だなと思った。ペンライトがまるで満天の星空のようで、その中を満面の笑みを浮かべてローラースケートで走り抜ける井上瑞稀くんを想像した。そんな景色が見れたら、しんでもいいかもしれない。大袈裟だけど。わたしが見たい景色を見せてくれるのはいまは彼らだけだけど、いつかハイハイジェッツが見せてくれたらなんにも言うことなんてなくて、きっと泣いてしまう。その時はきっと周りの女の子たちに「何泣いてんのこのおばさん」と思われるだろうし、ちょっと引かれるかもれしれない。でもそんな世界がきたらいいなぁと思っている。

結局のところ、ハイハイジェッツにわたしが捧げてあげられることは思いつかなくて、何が捧げてあげられるかな、と思ったらそれはもう声くらいしかなかった。精一杯格好良いと言ってあげたい。たくさん大好きだよと叫びたい。テレビや雑誌へ感想を送ることだって立派な声になるだろう。青春全部詰め込んであげられなくてごめん、とは思っている。でも、というかだからこそ、ハイハイジェッツがデビューして、デビュー出の井上瑞稀くん担当ですって言えたら、そんな幸せなことはないだろう。さよなら、平成最後の夏。楽しくて寂しくて切なくて悲しくて、それでもやっぱり楽しかった。次にハイハイジェッツが見せてくれる景色がどんなものなのか、わたしはすごく楽しみにしている。